(有)大島明日葉研究所

明日葉にまつわるお話

強大な帝国、秦を率いた始皇帝は、その権力にものを言わせ、不老長寿の野草をさがし求めました。その始皇帝に伊豆諸島から野草が届けられ、その野草が明日葉だったという説があります。始皇帝は明日葉を珍重したと言われます。

 

秦の始皇穿が探した不老長寿の野草

 

強大な帝国、泰を率いた始皇帝は、その権力にものを言わせ、不老長寿の野草をさがし求めました。その始皇帝に伊豆諸島から野草が届けられ、その野草が明日葉だったという説があります。始皇帝は明日葉を珍重したと言われています。

野菜不足や飢饉を明日葉でしのぐ

 

火山灰に覆われた大島では、昔はあまり緑黄野菜が採れませんでした。それでも島民がビタミン不足や栄養失調にならなかったのは、島のいたるところに自生する明日葉を日常的に食べていたからだと言われます。干ばつや台風など気候の変化によって、飢饉が起さたときでも同じ理由から大島の人は元気だったといいます。

 

世界一乳量が多い牛は大島にいた

 

かつて1日75リットルもの乳を出した乳牛が大島にいました。この数字は当時、世界一の乳量だそうです。そのほかの大島の乳牛も、他の地域の牛より30%ほど余分に乳を出していたといいます。これは大島の牛たちが、明日葉を食べさせられていたからとされます。そのため、大島では今でも、出産した女性が明日葉をたくさん食べる習慣があります。明日葉を食べると、乳の出が良くなるというのです。

 

溶岩の中から明日葉の芽が出た!

 

火山、三原山のある大島は、昔から何度も噴火の被害にあっていました。最近では、1986年に全島民が避難するほどの大噴火がありました。このとき、大島明日葉研究所のある元町にまで溶岩が流れ出すなど、大きな被害がありました。灼熱の溶岩は森や畑を焼き尽くしてしまいましたが、数力月後、その黒い溶岩の中から芽を出した植物の中に明日葉がありりました。過酷な条件でも生育する、大変強い明日葉の生命力の証です。

 

強壮の素としてチンタチ草と呼ばれる

 

大島では明日葉はアシタボと呼ばれます。最初に出てくる新芽の形が、天を突く槍の穂先に似ているからです。またチンタチ草というユーモラスな別名もあります。これは男性が明日葉を食べると精力がつく、と信じられているからです。